虎に翼のあらすじは?モデルは日本初の女性弁護士の三淵嘉子!

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今回は、「虎に翼のあらすじは?モデルは日本初の女性弁護士の三淵嘉子!」と題して、

2024年の前期で放送が決まっている朝ドラ「虎に翼」のあらすじをご紹介します。

また、「虎に翼」のモデルになっている、日本初の女性弁護士「三淵嘉子(みぶち よしこ)さん」についてもご紹介していきたいと思います。

「虎に翼」のヒロイン役は、伊藤沙莉さんに決定しており、放送日がとても待ち遠しいですね。

いったいどんなお話なのか、あらすじがかなり気になります!

放送開始前に、あらすじや、「虎に翼」のモデルになっている三淵嘉子さんについて知ることで、朝ドラをさらに楽しめますよね!

そこで、今回まとめた内容がこちらになります。

  • 虎に翼のあらすじ
  • 虎に翼のモデル三淵嘉子の生涯

虎に翼のあらすじは?

2024年の前期で放送が決まっている朝ドラ「虎に翼」のあらすじをご紹介していきます。

「虎に翼」は、日本初の女性弁護士の三淵嘉子さんの生涯をモデルにしたお話です。


「虎に翼」のあらすじ

大正3年(1914年)五黄(ごおう)の寅年に猪爪家で生まれた主人公(猪爪寅子)は「寅子」と書いて「ともこ」と名付けられました。あだ名は「トラコ」

女学校の卒業を迎えた年、母親にお見合い結婚を勧められます。

しかし、寅子はそれを振り切って、女性に法律を教える日本で唯一の学校への入学を決意します。

在学中は、周囲から”魔女部”と陰口を叩かれたりと辛い思いもしますが、寅子たちは自らの道を切り開くため法律を学んでいきます。

昭和13年(1938年)、卒業生から日本初の女性弁護士が誕生します。

寅子もその一人として、日本中から注目され憧れの的になります。

しかし、弁護士として意気揚々と世に出た彼女達を待ち受けていたのは、戦争へと突き進んでいく日本でした。

昭和20年(1945年)、焼け野原に立つ寅子はすべてを失っていました。

明日生きるため頼れるのは、かつて学んだ法律だけ。

彼女は裁判官になる事を決意。

戦争で親を亡くした子供や苦境に立たされた女性達の為、家庭裁判所の設立に奔走することになります。

そして、ついに寅子は裁判官になります。

彼女とその仲間たちは、政治でも経済でも解決できない、苦境に苦しむ人々を救うため情熱をもって向き合っていきます。

以上が、「虎に翼」の全体のあらすじとなります。

寅子とその仲間達が、困難な時代に法律の道を切り開き、子供や女性達を救っていくストーリーになっていますね。

ドラマを見ながら、法律の勉強もできそうですね!

虎に翼のモデルは日本初の女性弁護士の三淵嘉子!

NHKの朝ドラ「虎に翼」のモデルになっているのは、日本初の女性弁護士になられた三淵嘉子さんです。

三淵嘉子さんはどんな人生を歩まれたのでしょうか。

「虎に翼」のモデルになった三淵嘉子さんの生涯をご紹介していきます。

名前:三淵嘉子(みぶち よしこ、旧制は武藤)

生年月日:大正3年(1914年)1月30日生まれ *昭和59年(1984年)5月28日永眠

出身:シンガポール *父親が台湾銀行のシンガポール支店に勤務していた為。

三淵嘉子さんは、幼いころから物事の理解が早く賢い少女だったそうです。

歌やダンスも得意で放任主義の父親のもとで伸び伸びと育ちました。

その後、三淵嘉子さんはお茶の水高女(現在のお茶の水女子大学)に進学され、次第に法律家の道に進みたいと考えるようになりました。

お茶の水高女を卒業後は、良妻賢母にしたいと思っていた母親から、お見合い結婚をすすめられますが、それを振り切って明治大学の法学部に入学されました。

学校生活は同級生達と楽しく過ごしながらも勉強はおろそかにせず、成績は優秀だったそうです。


以後は、分かりやすいように年表形式でお伝えします。

昭和13年
(1938)
明治大学法学部を卒業。同級生の2人と共に司法試験に合格する。
昭和15年
(1941)
明治大学法学部の同級生、田中正子、久米愛と共に日本初に女性弁護士になる。
昭和16年
(1941)
最初の夫、和田芳夫と結婚
昭和18年
(1943)
長男が誕生するが、夫の和田芳夫は出征となる。
昭和21年
(1946)
夫の和田芳夫が戦地で発病し病死する。
昭和22年
(1947)
司法省に入省。裁判官採用願いを提出するが採用されず、司法省民事部等に勤務する。
昭和24年
(1949)
石渡満子と共に初の女性裁判官に就任(名古屋地方裁判所)
昭和31年
(1956)
裁判官の三淵乾太郎と再婚し、三淵姓となる。
昭和47年
(1972)
初の女性家庭裁判所長に就任(新潟家庭裁判所)
昭和54年
(1979)
定年退官。退官後は弁護士となり、労働省男女平等問題専門家会議座長を務める
昭和59年
(1984)
 死去。享年69歳。

三淵嘉子さんが進んできた女性弁護士、法律家の道は本当に大変なものだったと思います。

男女平等が、まだ難しかった時代に偏見や差別、そして戦争とも闘いながら道を切り開いてこられました。

今、私たちが男女平等で差別なく色々な事にチャレンジできるのは、このように道を築いてきてくれた方がいるからなんですね。

三淵嘉子さんはこのような言葉を残されています。

「どんなお節介をされても、自分の正しいと思う道を進むことができればいいのではないですか。私は男女が差別される時代に育ったせいか、建前論を主張するよりは女性が実績をあげて社会を納得させることが大事だと思っているのです」(「法曹あの頃 下巻」より)

引用元:NHK

司法で、女性が活躍する場を切り開いてこられた三淵嘉子さんの行動力、そして弱い立場の人達を守ろうと努力してこられた姿は本当にすばらしいですね!

三淵嘉子さんがモデルの朝ドラ「虎に翼」、どのように描かれるのかとても楽しみですね!

まとめ

今回は、「虎に翼のあらすじは?モデルは日本初の女性弁護士の三淵嘉子!」と題して、

2024年の前期で放送が決まっている朝ドラ「虎に翼」のあらすじや、モデルになっている日本初の女性弁護士「三淵嘉子さん」についてご紹介してきました。

三淵嘉子さんは、日本初の女性弁護士で後に裁判官になられた方でした。

しかし、裁判官となり女性が活躍する司法の場を切り開くまでにはたくさんの困難があったことが分かりました。

今回、朝ドラのモデルとなった三淵嘉子さんを知ることで、さらに放送が楽しみになりますね!

最後までお読み頂きありがとうございました。

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